当サイトは一部プロモーションを含みます

吉田潤喜の妻と娘や年収は?ヨシダソース創業者で在日韓国人だった!

投稿日:2018-05-27 更新日:

焼肉

アメリカでは、イチロー選手よりも有名?と言われる日本人がいます。

それは、「ヨシダソース」で知られる吉田潤喜さんです。

現在は「ヨシダソース」だけでなく、たくさんのグループ会社を作ってなんと年商〇〇億円?!

ということで、吉田潤喜さんの年収や結婚した妻と娘、「ヨシダソース」や在日韓国人だという噂についてまとめました。

吉田潤喜のプロフィールと経歴

名前:吉田潤喜(よしだ じゅんき)

生年月日:1949年12月7日

出身:京都府京都市南区

職業:実業家

 

吉田潤喜さん、実はあのお笑いコンビTIMのレッド吉田さんの従兄弟です。

そして、父親はカメラマン、母親は焼肉屋を営んでいて子供の時あまり裕福ではない暮らしをしてました。

というのも吉田さん、7人兄弟(12歳年上の兄・5人の姉・吉田さん)の末っ子だったのです。

7人兄弟って、今だとなかなか聞かないですよね。

我が家の近所に5人の子供がいる家族がいますが、それでも結構な大家族だと思いますもの。

 

更に3歳の時、事故で右目を失明しています。

空手が強かった立命館大学に入学するため、受験しましたが失敗、

19歳の時、この大学受験の失敗を機にアメリカへ不法移民します。

そう、生活は苦しかったのに...母親が、借金をしてまでアメリカ行きの航空チケットを購入してくれたのです。

アメリカで何をするか決まっていたわけでもないのに、借金をしてまで行かせてくれる母親って、すごいですね。

やはり自分の息子ですから、信じて応援したのでしょう。

 

子供の頃から空手をやっていたのもあり、知人の空手道場を引き継ぐも、不況の影響で生徒数が減り、

経営はうまくいきませんでした。

生徒にプレゼントをもらっても、お返しの品を買うこともできなかった吉田さん。

ある日、焼肉のタレを作ってあげることを考えます。

これは、実家の焼肉屋からヒントを得て開発したのです。

実家で提供されていた焼肉のタレは醤油ベースでした。

日本の和歌山県発祥と言われている醤油の味は、アメリカでは珍しくてウケたのでしょう。

 

吉田潤喜とヨシダソース

 

実家の焼肉のタレからヒントを得て、1982年に「ヨシダソース」を設立した吉田潤喜さん。

しかし、最初から順調に売れたわけではありません。

日本のよくわからない味の商品ですから、お店が商品を取り扱ってくれなかったのです。

そこで、吉田さんは小売店で実演販売をします。

着物に下駄、カウボーイハットという珍しい格好をし、さらに大声でセールストークをして人々を惹きつけました。

このおかげで売り上げが伸びていき、コストコと提携したり、テレビCMで宣伝したりするまでになりました。

これらの実績を認められ、2005年、Newsweek誌で「世界で最も尊敬される日本人100」に選ばれました。

 

吉田潤喜の年収

 

ここまで成功されている吉田潤喜さん、やはり年収が気になりますよね。

 

吉田潤喜さん、ヨシダソースの創業者として知られていますが、他の分野にもビジネスを広げ、

グループ会社の数は18にまで増えました。

吉田さんは、そんな吉田グループの会長を務めています。

吉田グループの年商は、なんと250億円とのことです。

 

正直会社によっても違いますので、年商から年収というのは計算できませんが、

裕福な暮らしをしていることは間違い無いでしょう。

吉田さんの年収は、数億円はいっているような気がします。

資産に関しては、数百億円あると言う噂もあります。

 

ただし、吉田さんは年収全てを自分や家族のために使っているわけではありません。

いくつかの病院に寄付というような活動も行なっています。

これは昔、長女が大きな病気にかかった時、病院がまだ貧しかった吉田さんの経済状況を考慮し、

ほとんど治療費を請求しなかったことがあったからです。

ここから、吉田さんは絶対将来恩返しをしよう、と思ったのです。

成功というのは、周りの支えがあってこそ実現するものですからね。

真の成功者は、自分だけのためにお金を使わず、それを他の人に分けようとしますので、

やはり考え方が違いますよね。

吉田潤喜の妻と娘

 

そんな吉田潤喜さんですが、結婚しています。

妻は、リンダ・マクファレンさんです。

吉田潤喜さんがアメリカに渡ってからコミュニティカレッジに通い始め、そこで会って一目惚れしたとのこと。

なんと出会ってから2週間でプロポーズしちゃいました!

なかなか承諾してくれなかったリンダさんに、吉田さんは驚きの行動をします。

なんと、自分の手にタバコで根性焼きをし、「YESと言うまでこのタバコを離さない」と言ったのです。

いやいや、それは脅迫でしょ!

目の前でそんなことをやられたら、リンダさんもYESと言うしかありません。

人が根性焼きをしているのを、見過ごすわけにはいきませんから・・・

そして当然妻・リンダさんの父親は猛反対しましたが、それを押し切って結婚。

 

子供は、娘3人に恵まれました。

最初の娘は、リンダさんと結婚してから1年後に生まれました。

吉田さんが結婚したのは渡米してから少ししてからなので、20代前半に結婚したと思われます。

なので、最初の娘さんはもう50代後半くらいでしょうか。

 

吉田潤喜は在日韓国人?

 

吉田潤喜さん、出身は京都府京都市南区ですが、在日韓国人(コリアン2世)です。

しかし、1977年には、アメリカ国籍を取得したとのことです。

在日韓国人2世ということは、生まれた時は韓国国籍を取得したはずです。

大人になってからアメリカ国籍を取得したので、韓国国籍は放棄したのでしょう。

アメリカは多重国籍を認めていますが、韓国は認めていないようなので・・・

 

ということで、元々国籍は韓国でしたが、現在はアメリカ国籍のみだと思われます。

 

多重国籍といえば、私も日本とアメリカの二重国籍ですが、あと1年もしないうちに

どちらか選択しなければいけません・・・

どちらか一つだけって・・・難しい。

 

まとめ

 

「ヨシダソース」創業者の吉田潤喜さんは、在日韓国人でしたが、その後アメリカ国籍を取得。

アメリカで出会ったリンダさんと結婚し、3人の娘に恵まれました。

現在は、18のグループ会社を設立し、年商250億円までいっています。

日本から渡米した時には何も無い状態だったのに、ここまで成功してアメリカンドリームを勝ち取るとは、

誰が想像したでしょうか。

なんだかこういう話を聞くと、希望が持てますよね。

吉田潤喜さんの著書です。

表紙のインパクトがすごいですが(笑)

吉田さんのビジネス成功の秘密が書かれています。

諦めないその努力精神、すごいですよね。できそうで、なかなかできないことです。

-一般人

Copyright© 情報をお届け! , 2024 All Rights Reserved.