山西惇の学歴はあの難関大学卒?嫁との年齢差や釣りの腕も

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山西惇の学歴はあの難関大学卒?嫁との年齢差や釣りの腕も

みなさま、「山西惇(やまにしあつし)」さんという俳優さんをご存知ですか?

人気ドラマ「相棒」に出演中で「ヒマかっ?」というセリフでおなじみの角田課長と言えば、お分かりになる方も多いんじゃないでしょうか?

今回はその山西惇さんの学歴や嫁について調べてみたので、ご紹介していきたいと思います。

山西淳は高学歴のインテリ俳優!出身校は?偏差値は?

実は山西惇さん、クイズ番組にも常連なほど高学歴の俳優さんなんです!

しかも中学・高校・大学と、どれも偏差値の高い学校ばかり……。
 

山西惇は偏差値70超えの東大寺学園高校の出身者

山西惇さんは、中高一貫校の「東大寺学園高校」の出身です。

私立の進学校で、経営母体が東大寺という由緒正しき学校。

東宝映画やシティバンクの社長を排出していたり、映画監督の高橋伴明さんの出身校でもあります。

偏差値は年によって変動はしますが、だいたい72〜78とかなり高い数字!

進学校ながら制服がなく私服で通うことできたり、校則がなかったりとかなり自由な校風のようです。

そのため山西惇さんも高校時代はバンドを組んだり自主映画を撮影するなど、文化的な活動を自由にできていたんですね。
 

山西惇は京大出身のインテリ俳優

そして大学はあの有名な京都大学。学科は工学部石油化学科へ入学しました。

残念ながらこの学科はいま工業化学科に統合されてしまっていますが、偏差値は約62とこちらも高い数字!

数々のクイズ番組で活躍されている山西惇さんの学力は、こういった学生時代からの積み重ねだったんですね。すごいです。
 

山西惇の嫁は19歳年下のスタイリスト!
どんな人なの?画像は?

さて、そんな山西惇さんの嫁はどんな方なの?と気になりませんか?

調べて見たところ、相手の方は19歳も年下のスタイリストさんという事が判明しました!

2008年の結婚当時、山西惇さん46歳、嫁27歳というから驚きですよね。ただ、残念ながら嫁は一般の方ということで、画像が公開されてはいませんでした。

子供は一男三女と4人の子宝に恵まれ、素敵なパパとして過ごされています。
 

山西惇は結婚を2回している?!

そして実は山西惇さん、今の19歳年下の嫁の前に一度結婚をしていた経歴があります。

一度目は当時所属していた劇団のスタッフの方で、1992年に結婚されました。しかし2002年に10年の結婚生活に終止符を打たれたとのこと…。

「相棒」の最初の出演や明石家さんまさんの舞台「七人くらいの兵士」に抜擢されたが2000年のことなので、だんだんと仕事が忙しくなりすれ違ってしまったのかもしれませんね。

最初の奥さんとの間にお子さんがいるかは公表されていませんでした。
 

山西惇の釣りの腕前は?「釣りびと万歳」に出演!

山西惇さんは「趣味・特技:映画鑑賞」というくらいですから、基本的にはインドア派のイメージです。

しかし2019年7月28日にNHK・BSプレミアムの「釣りびと万歳」にご出演!ビギナーには少し難しいと言われるアユの友釣りに挑戦されました。

撮影場所となった岐阜県和良川に訪れた際には、「素敵な処」「天気も良くて、風が気持ちいい!!」と自身のTwitterで笑顔の写真を投稿。

とても清々しい気持ちで釣りに挑まれた事がわかりますね!
 

山西惇のプロフィール!
辰巳琢郎や生瀬勝久との関係は?本名は?

ここで一旦、山西惇さんの詳しいプロフィールを見ていきましょう。

実は京都でも有名な「そとばこまち」という劇団に所属していました。所属するまでの経緯・交友関係も一気にご紹介していきますね!

山西惇プロフィール

本名:畑中 敦史
出身:京都府京都市
身長:170センチ
血液型:B型
 

山西惇の本名が違うのはなぜ?芸名の由来は?

山西惇さんは芸名で活動されています。本名は畑中敦史さんと言います。

では、なぜ「山西」としたのでしょうか?

2016年10月12日に放送された「あいつ今何してる?」に出演した際、芸名の由来について話していました。

なんでも高校時代、軽音部に「山西先輩」という方がいて、その人に顔がとても似てたんだとか。

そのため高校時代のあだ名は「山西」。

芸名を「山西」としたら、高校時代の友人が自分だと気が付いてくれるんじゃないか?と思い付けたそうです。

あと、本名で活動するのが恥ずかしかったのもあるみたいですね!
 

俳優になったきっかけは
辰巳琢郎が立ち上げた「劇団そとばこまち」

山西惇さんは京大に合格後、京大内で活動していた「劇団そとばこまち」のチラシを手にしたことで演劇の世界に足を踏み入れます。

高校時代からバンドや映画製作に取り組んでいた山西惇さんですから、お芝居のチラシをみて「俺のやりたいことが全部つまってる!」と衝撃を受けたようなんです。

「劇団そとばこまち」は一度創立メンバーが抜けてしまったあと、1978年に辰巳琢郎さん等が立ち上げなおした演劇サークルです。

1988年には生瀬勝久さんが四代目座長となり、山西惇さんと舞台を共にしていました。
 

山西惇の俳優人生を決めた生瀬勝久の一言とは?

山西惇さんと生瀬勝久さんは同時期に「劇団そとばこまち」で活躍されていました。

しかし山西惇さんは大学卒業後、教授のすすめで石油メーカーに就職。

一年目は仕事も忙しく、演劇からは遠のいていましたが……。

 

1988年、「劇団そとばこまち」の四代目座長を生瀬勝久さんがやると聞き、山西惇さんも生瀬さんが座長ならどうしてもやりたい!と演劇活動を復活させることを決意。週末などを利用して仕事をしながら舞台に立ちました。

ある日、仕事のハワイ研修と劇団の大事な公演の日程が重なってしまいます。

その時山西惇さんは座長である生瀬勝久さんに相談をしました。

仕事を続けるか?芝居一本でいくか……。芝居だけで食べていけるのか?

そう悩んでいた山西惇さんに、生瀬さんがかけた言葉はこんな内容でした。

「食うくらいなら、なんとかなるで」

それを聞いた山西惇さんは、退職を決意。あの言葉がなければ今の自分はいないと当時を振り返っています。
 

山西惇の学歴や嫁・釣りの腕前まとめ

「相棒」の角田課長で知られる個性派俳優・山西惇さんについて今回はご紹介してきました。

とにかくすごい学歴や偏差値にまず驚いてしまいましたね!

時々「Qさま!!」で辰巳琢郎さんと共演されていたり、生瀬勝久さんとは現在でも舞台で一緒に活動されていたり、とても強い絆を感じました!

最初はちょっと強面かな……と思っていましたが、調べていくうちにどんどん愛嬌のある方だとわかり、19歳年下の嫁を射止めたのもわかるような気がします。

映画鑑賞や釣りなどさまざまな趣味にチャレンジする面もあり、お子さんも大切されている素敵なパパさんなのかな?というイメージに変わりました。

人気シリーズ「相棒」もまだまだ継続しそうですし、角田課長の活躍も楽しみですね!





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